対談・座談会
対談・座談会
NECソフトが描くバイオメトリクスの未来
(左)NECソフト株式会社 本社技師長 星野 幸夫
(右)東京大学 大学院情報学環・学際情報学府教授 原島 博 様
最近、情報システムのセキュリティーをはじめインターネットでの情報閲覧や各種決済などに安全性確保が強く求められている。また、2001年に米でおこった同時多発テロ以降、多くの人が集まる公共施設や大型ビル、さらには企業の重要部署などのゲート管理も強化されている。そういった領域で注目を集めているのが、バイオメトリクス(生体認証)を応用した本人認証の技術やソリューションだ。しかし、今なぜバイオメトリクスなのか。独自の科学的なアプローチで「表情とは何か、顔の印象とは何か」を検証し、世界でも類を見ない“ 日本顔学会”を立ち上げるなど、ユニークな活動でも注目を集める原島博工学博士をお迎えして、30年以上にわたって指紋認証の技術に携わっている星野幸夫と、バイオメトリクスの歴史から現状、そして将来展望まで、語り合ってもらった。
- プロフィール
東京大学大学院 情報学環・学際情報学府教授 原島 博
1945年生まれ。1968年東京大学工学部電子工学科卒業。1973年同大学院博士課程修了、工学博士となり、1973年東京大学工学部専任講師、 1975年東京大学助教授(工学部電子工学科)へ就任。1984年米国スタンフォード大学客員研究員として招かれ、1991年東京大学教授となり、現在に至る。情報理論や信号理論、高能率デジタル通信方式、デジタル信号処理、画像符号化と処理などの研究に従事。最近は人間主体のヒューマンコミュニケーション技術の確立を目指す。1995年日本顔学会を設立。同学会の理事も務める。
NECソフト株式会社 本社技師長 星野 幸夫
1938年生まれ。1961年日本電気株式会社に入社し、研究所にて郵便番号読取装置、OCR、指紋照合システムなどパターン認識の研究開発および実用化に従事。1982年同社官庁システム事業部システム開発部長、1985年NECセキュリティシステム株式会社に技師長として出向し、取締役を経て、 1997年NECソフト株式会社本社技師長となり、現在に至る。ISO/IEC/JTC1のSC17およびSC37のWGにおいてバイオメトリクス標準化活動にも従事。
古代バビロニアにルーツがあったバイオメトリクスの歴史
- 原島
- 今、バイオメトリクスが注目を集めていますが、そもそもルーツはどこまでさかのぼることができるのでしょうか。
- 星野
指紋認証ということでは紀元前までたどれます。古代バビロニア王朝の頃、指紋を押しつけた粘土板があり、それを所有物などに付けたりしていたようです。中国でも古くから粘土の印鑑に指紋が利用されていました。
- 原島
かなり古い時代から、指紋は使われていたのですね。
- 星野
王様などの権力者が自分の所有物だとか本人の作品だということを証明するために使っていたようです。
- 原島
署名やマーキングと同じですね。
- 星野
そのようですね。19世紀になると英国人が指紋研究をリードしました。日本には古くから拇印の習慣がありますが、その拇印や、土器に残された指紋などに着目し、数多くの指紋を採取するうちに個人によって指紋パターンが異なることに気付いた人が日本にもいました。宣教師として訪日し、医師としても活動していた英国人のヘンリー・フォールズという人ですが、彼はその事実を利用して、容疑者の特定に貢献しました。その体験から指紋認証による個人識別の可能性を論文にまとめ、英国の科学雑誌『ネイチャー』に発表したのが、世界初の指紋認証の科学的論文とされています。
パターン認識の研究テーマに指紋を選択した先見性
- 原島
星野さんが指紋認証の研究に着手したきっかけはなんだったのですか。
- 星野
もともとはパターン認識の領域で郵便番号読み取り装置などの開発で文字認識研究開発をしていて、その延長線で1971年から指紋照合の研究を開始したのがきっかけです。
- 原島
1970年代はパターン認識の研究に当時の通産省が力を入れていましたからね。文字や音声、画像などの基礎研究が進んだ頃です。その中で指紋をテーマにパターン認識の研究を進めていたのはNECであり、「面白いことに目をつけたな」と興味津々でした。
- 星野
海外や日本の警察でもコンピューターを使って効率的に指紋照合が出来ないかを検討していましたが、私たちには文字認識などのパターン認識の技術がありましたから、そこからスタートしてこの技術を使って何とかしようということになりました。そして指紋の紋様を形成する線(隆線)の端点や分岐点などの特徴点に着目し、その位置、方向、隆線数などを使って指紋照合する自動化システムを開発し、1982年に第1号機を日本の警視庁に納入しました。
- 星野
1983年にはサンフランシスコ市警に当社のAFIS※1が納入され、未解決だった殺人犯の特定に貢献したことなどがきっかけで市の急激な犯罪減少に寄与しました。その成果を受け、米国内の各州、各市、あるいは各国の警察に導入され、登録指紋数で言えばシェア約7割を占めていったわけです。この過程の中で蓄積していった技術やノウハウが、現在の指紋による個人認証システム(PID※2システム)に発展しました。
“指紋の次は顔”をテーマにバイオメトリクスの可能性を探求
- 星野
NEC/NECソフトは顔による個人認証の技術開発も進めましたが、顔学会※3なども主宰されている原島先生からは今日は、顔についての興味深いお話や、顔のバイオメトリクスについてもお話が伺えるのではないかと楽しみにしています。
- 原島
顔は実に奥深いものです。もともと私の専門は通信工学でした。研究していくうちに「通信」という、人と人とのコミュニケーションを突き詰めていったら、理想の端末は例えばテレビ電話などで送り側の顔の情報を忠実に送る機器ではなく、お互いの人間の感性を共有しあう、お互いが気持ちよく通信しあう環境の提供ではないかと思ったのです。そしてそのインターフェースは「顔」ではないかと。そこから顔を科学する方向にのめり込んでいきました。
- 星野
非常に面白い視点ですね。
- 原島
1985年、テレビ電話の研究に携わったときに「顔」の感情表現がポイントだと確信しました。当時、顔の画像を分析して、特徴点だけを抽出して記号レベルの小容量にデータ化してやりとりする「知的符号化」を提唱しました。簡単に説明すると、まず一枚の顔写真を相手に送り、こちらが笑ったら、受けた側ではその顔写真も笑うよう表情づけをするシステムです。画像を画像として見るのではなく、笑う、泣く、怒るといった本質を見極めていく考え方です。そのプロセスをかたちにする際、表情や印象といった感情に左右される領域抜きには成立しないことに気付いたわけです。
- 星野
顔画像データの圧縮とパターン認識の協調ですね。私たちの顔認証技術「NeoFace」に参考になるところがたくさんありそうですね。
技術とコンサルティングの両立でバイオメトリクスの普及を促す
- 原島
顔を、目や鼻や口といった要素に分解し、数値化して分析する従来のアプローチも重要ですが、感性という側面を軽視すると実用化の段階で無理が生じませんか。マクロやミクロに偏らず等身大の視点で顔に対峙する姿勢も、顔認証には必要かもしれませんね。例えば、日本人は日本人同士なら良く区別できるけれども、外国人の場合はみんな同じ顔に見えたりしますよね。顔でおもしろい点は、だんだん慣れると区別できるようになるところ。また、何年かぶりにあった同級生が最初は誰だかあいまいでも、癖や仕草で分かったりするときがあります。これなどは雰囲気で判別しているのでしょう。
- 星野
おっしゃる通りです。顔は時間とともに変わりますが非常に重要な個人認証の素材ですね。しかし、離れていても判別できるので、本人の意思に関わらず認証されます。顔認証は非常に便利なシステムですが、プライバシーに注意しながら利用しないといけませんね。バイオメトリクス全般に言えることですが、顔認証もまだまだ発展しないといけません。顔学会などでは多くの分野の研究者がおられるので、顔認証に適用できる研究成果も大いに期待できそうですね。
- 原島
監視ばかりの社会も困りますから、運用に関するルールやコンセンサスの制度化など、社会的な仕組みを整備していく必要はあります。
- 星野
社会がデジタル化・ネットワーク化されればされるほどバイオメトリクスの活用シーンも広がります。バイオメトリクスのデータフォーマットなどの標準化への取り組みも重要ですが、使い方などを多角的に見ながらバイオメトリクスの普及を進めていかなければなりませんね。まだ話は尽きませんが、今日はお忙しいところ長い間有益なお話を伺い、本当に有り難うございました。
- ※1
- AFIS/Automated Fingerprint Identification Systemの略。自動指紋識別システム。
- ※2
- PID/Personal Identificationの略。個人認証。
- ※3
- 顔学会/顔の研究と「顔学」の普及を目的に、原島教授を中心に工学、心理学、人類学、医学、歯学、美容、化粧、服飾、マスコミ…など広範囲にわたる専門家が結集して、1995年3月に設立された。シンポジウムやセミナー、学術大会の開催、学会誌『KAOGAKU 』の刊行など、さまざまな活動が展開されている。

『顔学への招待』岩波書店
日本人の顔はどのように変わってきたのか、さまざまな表情を客観的にとらえることはできるのか、いったい顔にはどんな役割があるのか――身近でありながらとらえどころのない顔や表情について、原島教授の科学的なアプローチを紹介する一冊。コンピューターによる画像処理技術を中心に、心理学や人類学の成果も絡めながら、さまざまな角度から顔の魅力に迫る。
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